アイヌ学入門 (講談社現代新書)

アイヌ学入門 (講談社現代新書)

によって 瀬川 拓郎

アイヌ学入門 (講談社現代新書) - アイヌ学入門 (講談社現代新書)は必要な元帳です。 この美しい本は瀬川 拓郎によって作成されました。 実際、この本には349ページあります。 アイヌ学入門 (講談社現代新書)は、講談社 (2015/2/19)の作成によりリリースされました。 アイヌ学入門 (講談社現代新書)の簡単なステップでオンラインで表示できます。 ただし、ラップトップ用に保管したい場合は、ここで保存できます。
内容紹介 海を渡り北方世界と日本を繋ぐ大交易民族としてのアイヌ。中国王朝と戦うアイヌ。従来のステレオタイプを覆し、ダイナミックに外の世界と繋がった「海のノマド」としてのアイヌ像を様々なトピックから提示する。(講談社現代新書) アイヌと聞くと、北海道の大自然の中で自然と共生し、太古以来の平和でエコロジカルな生活を送っていた民族というのが一般的なイメージでしょう。 しかし、これは歴史的事実を無視した全くの誤解に過ぎません。例えば中国が元の王朝だった時代、元朝は現在の沿海州地方に出兵し、その地でアイヌと戦争をしました。鷲羽やラッコの毛皮など、当時珍重されていた品々を調達するために北海道、樺太から沿海州にまで進出してきたアイヌの人々を排除するためでした。この事例からも窺えるように、中世のアイヌは大交易民族でした。奥州藤原氏が建立した中尊寺金色堂の金もアイヌがもたらしたものだった可能性があるのです。 著者によれば、アイヌは縄文の伝統を色濃く残す民族です。本州では弥生文化が定着したあとにも従来の縄文の伝統を守り、弥生に同化しなかった人々、それがアイヌだったのです。有名な熊祭りも、縄文の伝統を今に引き継いだものではないかと考えられています。 また、日本との交流も従来考えられていたよりもずっと緊密でした。アイヌ語で神を意味する「カムイ」が日本語からの借用語であることは有名ですが、それだけに止まらず、様々な面において日本由来の文物を自身の文化に取り入れていったのです。 本書では、従来のステレオタイプのアイヌ像を覆し、ダイナミックに外の世界と繋がった「海のノマド」としてのアイヌの姿を様々なトピックから提示します。 内容(「BOOK」データベースより) ステレオタイプを覆し、ダイナミックに外の世界と繋がった「海のノマド」としてのアイヌ像を様々なトピックを通じて提示する。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 瀬川/拓郎 1958年、札幌市生まれ。考古学者、アイヌ研究者。岡山大学法文学部史学科卒業。2006年「擦文文化からアイヌ文化における交易適応の研究」で総合研究大学院大学より博士(文学)を取得。現在、旭川市博物館館長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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著者の瀬川拓郎さん(旭川市博物館長)については、「北の縄文文化を発信する会」が編集・刊行した『縄文人はどこへいったか? 北の縄文連続講座・記録集2』(インテリジェント・リンク 2013年)の「第5講 海を渡る縄文人の末裔たち―交易と拡大するアイヌ社会」を通読して、その斬新といえる視点に、私は陰ながら注目していた。この著述は、2015年度における古代歴史文化に関する優れた書籍を表彰する「第3回古代歴史文化賞」(島根県・奈良県・三重県・和歌山県・宮崎県の5県共同主催)の大賞を受賞しており、アイヌモシリに住む同じ北海道人としては嬉しい限りである。ところで、私が小学校低学年の頃、クラスにアイヌの女子が一人いた。私とはほとんど言葉を交わすこともなく、いつの間にか転居でもしてしまったのであろうか、私の小さな世界から消えてしまっていた。北海道に生まれ育った私としては、アイヌに関する知識はそこそこある方だと思っているけれども、この瀬川さんの巻帙を読み通すと、改めて目を開かされる思いだ。それを一言で表現するならば、アイヌの歴史や文化の“重層性(複合性)”と“ダイナミック性”である。それ故、例えばアイヌを“縄文人の遺民”として単純に捉えると、縄文文化などを大きく見誤る可能性があろう。本書は、「序章」から始まり、「縄文」「交易」「伝説」「呪術」「疫病」「祭祀」及び「黄金」といった章立てで進み、「現代」で完結している。まず、アイヌは「日本列島の縄文人の特徴を色濃くとどめ」、いわば「現在の日本列島における「本家」筋ともいえる人びと」で、「北海道の先住民どころか日本列島の先住民ともいえる」(p.13)ことは、私も否定しない。私自身は「縄文人」を“北方系”と“南方系”から構成されていた、と考えているが、それはともかく、アイヌの人びとは“縄文の精神”を受け継ぎながらも、他文化との接触そして受容によって彼らの文化も変成していった点が重要だ。その契機が先述したアイヌの“ダイナミック性”であり、その文化の“重層性(複合性)”にあると、私は考える。だから、縄文時代のアイヌと近世以降のアイヌとを文化的に同列に扱えば、見誤りが生じるのである。その謬錯を解きほぐしているのが、瀬川さんの考察であろう。当書では、アイヌの文化や伝統、風習などの変容について、様々な角度から言及している。無論、あくまで「仮説」の域を脱しない事相も含まれているわけだけど、私としては非常に説得力があると考えている。それは、彼らの「交易」などを通じた“ダイナミック性”によって十分に論証可能である、と確信する。最後に、瀬川さんはいう―考古学からアイヌの歴史を研究していると、私たちがアイヌの歴史について知っているのは、実はそのごく一部にすぎないのではないか、私たちは目をつぶってゾウの尻尾にさわり、その全体を論じているのではないか、と考えることがあります―と(p.299)。私もそのとおりだと思う。本書では、「コロポックル」や「ユーカラ」、「行進呪術」などについて、瀬川さんの見解が示されている。それらアイヌの伝説や呪術には「古代や中世の日本の影響が深く浸透している」(p.194)ことが比定され得る。これからも、瀬川さんには考究を進めていってもらいたい。

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